崩れては、またつみあがる。
細かな粒は、それを繰り返し、繰り返す。
それこそ、永遠にその流れは変わらぬ。
しかし、崩されたものは、誰かによってまた積み上げられるのだ。
弱く、小さなそれは誰かに支えられ、また再構築される。
嗚呼、また一からやり直しだ。
砂を蹴る
「おい、降ろせ…」
心底不機嫌です、という感情をこれほどまでに露にできるものだろうか。
そんなことを思って、肩の上から降ってきた言葉に溜息を吐いた。
肩の上には、少しの重み。
衣服は濡れていて重みを増しているが、元が元のため苦にもならない。
ゆらゆらと揺れる波に逆らいながら、水の中を歩き続けた。
無視したことが気に入らないのか、このように軽々と肩に担がれているのが気に入らないのか、デイダラはバタバタと暴れだす。
デイダラの腰をしっかりと支え、落とさないようにしやると、背中を叩かれた。
「トビ!てめぇ爆死してぇのか、うん!」
「いや、それは勘弁してほしんですけど…」
「それなら降ろせ!」
「そんなこと言っても、先輩熱でふらふらじゃないっすか。」
「誰がだ!この、クソトビ!降ろせ!」
肩の上でギャーギャーと煩い。鼓膜が刺激される。
その元凶である子供の様子は、いつもと何も変わらない。
いつも通り。
それこそ、あの赤い髪の男が逝く前や、自分が記憶を消していたときのよう。
しかし、分かっている。
人の心を読むことをできる訳もないが、これだけは分かるのだ。
彼の中では、確実に何かが変わっているだろうことが。
「おーろーせー!!」
「デイダラさん、軽すぎないですか?最近ちゃんと食ってました?」
「うるせぇよ、うん!」
「あ、熱で食えなかったんですね、そういえば。」
ポタポタと金色の髪から水滴が落ちてくるのを感じながら、歩き続ける。
チャクラで水面に立つこともせずに、まるで阿呆のように。
(頭を…)
冷やさなければならないと思ったからだ。
やがて浸かっていた足元は、水の流れから脱する。
白い砂の上に足を乗せ、担いでいた体を下ろす。
そのコートから、髪から、頬から、ポタポタと水が滴り、その足元を濡らし、柔らかな砂を固めた。
「たく、オイラを馬鹿にしやがって…体調が戻ったら即爆死だ、うん。」
「デイダラさん、」
「ちょうどいい、てめぇはオイラの新作の獲物だ。」
あまりにポタポタと水滴が髪から顔に落ちるものだから、一瞬泣いているのかと思った。
しかし、この目の前の光景と同じその蒼い目からは、何も零れてはいない。
ただ不満そうに、文句を言っている。
嗚呼、阿呆のようだ。
(無理してるって、バレバレですよ、先輩。)
『トビ』の口調でそう思う。
しかし、それを口にすることはなく、自分よりだいぶ下にある頬に触れた。
その瞬間、その子供はビクと体を震わせて、しかしそれは一瞬で、こちらを見上げる。
「んだよ…」
「泣いても、いいと思うんですけどね。」
「泣く?」
「全部思い出したんでしょう?」
封印した記憶を。
このデイダラという子供と組んで幾日も経たぬころ、この面をさらし目を見せつけ名を教えた。
そしてその勝手な代償として、その記憶を奪った。
奪う記憶は一部だけ。
あの忌々しい赤の記憶のみ。
『全部、消してやろう。』
お前が大切に思っていたもの、お前を人間らしくした根源、弱くなる原因。
そして、想い。
デイダラは、大して抵抗はしなかった。
腕がなかったこと、自分との圧倒的な力の差、写輪眼に対する恐怖。
いくらでも理由はつけられただろう。
しかし、敢えて自分もデイダラも何も言わなかった。
分かってしまった。
『忘れたかったのか…?』
記憶を封印した後に眠った彼を見て、そう呟いたが、答えは出ていた。
しかし、それとは裏腹にデイダラは思い出そうとした。
何が原因かは分からない。
分からないが、何かをきっかけに俺の名を思い出し、記憶を返せと言ってきたのだ。
『たのむ、から…』
どこまでも忌々しい赤。
本当はこのまま記憶などこの深い水の中に沈めて、捨ててしまおうとした。
そしてお前は俺だけを見ればいいと、そう思った。
しかし、あの今にも泣き出しそうな、迷子のような顔を見て、どうするこもできなくなった。
何故そうしたのかは、今でも分からない。
「デイダラさん?」
「ああ。思い出した。旦那のこと。」
「そうですか。」
「名前はサソリ。歳はおっさんのくせに、顔は十代の若作り。」
その子供は、フンと鼻を鳴らし背を向けた。
履いていた塗れた履物をすべて脱ぎ、裸足で歩き出す。
柔らかい砂に、その小さな足跡が一歩一歩ついていった。
「短気でどうしようもなくて、すぐ殴るし、」
「デイダラさん、」
「でも、オイラを誰よりも心配してくれてた。」
「泣かないんですか?」
デイダラは泣かなかった。
サソリが死んだ直後、記憶を持っていたときも。
ただ悪態をついて、そして一人になると何かが抜けてしまったようにぼんやりとして。
しかし、その蒼い目からは何も零れることは一度だってなかったのだ。
一人の大切な者の死が、この子供にとって辛いものでないはずがないというのに。
「笑わせんな。」
ポツリと、波が押し寄せる音と共に小さな声が聞こえた。
迷わず前に進んでいた足は、ぴたりとその動きを止めている。
小さな背は、しっかりと伸ばされ、立っていた。
「男、しかも忍が相方一人失っただけで泣くかよ。情けねぇったら。泣くくらいなら舌噛んで死んだほうがマシだな、うん。」
「僕からしたら、去勢張ってるだけにしか見えないんですけどね。」
「…お前に何が分かるっつーんだ。」
「分かりますよ。デイダラさんの様子を見かねて記憶を封印したのは、僕ですから。」
そう言うと、一瞬の沈黙の後、バーカと憎まれ口が帰ってきた。
柔らかな砂の上に、小さな足跡。
それは寄せては返す波に飲み込まれ、そして消された。
刺すような風が吹き、その髪を揺らしている。
何故か疎らになっている髪。自分でやったのだろうか。
憎まれ口には何も返さず、ただその背を追いかける。
再び歩き始めたその後姿に、迷いはない。
否、それさえも虚勢だったのだろうか。
答えが決まりきっている問の答えを考えながら、ただ波が寄せ返す音や風が空を舞う音を聞いていた。
「…悲しくねぇよ。」
不意に沈黙を破ったのは、やはりポツリと呟かれた声だった。
嗚呼、せめていつものように阿呆のように騒がしくしていれば、俺だって見てみぬふりを出来たかもしれないのに。
「悲しくねぇし、旦那が死んだくらいで泣くほどオイラは弱くねぇし。」
「…そうですか。」
「オイラは、弱くねぇ。」
「知ってます。」
「ただ、ムカつくだけだ、うん。」
子供が不意に足を振り上げる。
すると、その足元の茶色に変化したしめった砂が宙に舞った。
沈みかけた太陽に照らされ、その砂がきらきらと輝く。
それは決して綺麗な様子ではない。見ていて楽しいものではない。
しかし、この子供は砂を蹴ることをやめない。
まるで、この世の全てが気に入らないという表情をしながら、蹴り続ける。
子供は、何も言わなかった。
ただぼんやりと目の前の蒼、否、赤に染まりかけた波を見て、蹴り続けるのだ。
その蒼の目に、憎い憎い憎い!!と、今にも爆発しそうな感情を秘めて。
「ばっかみてぇ、うん!」
積み上げられた砂が、蹴られ、崩れていく。
「あの弱点丸出しの自信過剰の馬鹿野郎が!」
今まで積み上げられたものが、憎いという感情でいとも簡単に崩れていく。
それはまるで、積み上げられた子供の感情が、一人の死によって崩されたように。
「ほんとに馬鹿だ、あの親父は!バーカバーカ!!」
ははっと心底馬鹿にしたように子供が笑う。
今までその後姿を何も言わず見てきたが、もういい。
あまりにも、その虚勢を張る姿は、十代の子供にしては痛すぎた。
ゆっくりとその小さな体に近づき、正面に回った。
その蒼い目がよく見える。
頬を包み込み、そこについた砂を拭い去ってやる。
小さな頬は、この両手にあっさりと包まれてしまう。
嗚呼、こんなにも、この子供は小さいのだ。
何も知らない子供に、あの忌々しい赤の死が、耐えられるはずがなかったのに。
濡れた小さな体を、折れてしまうのではないかと思うほど強く抱きこんだ。
「馬鹿、みてぇ…」
ポツリと呟き、ポタリと涙。
この涙を止める術など俺は知らぬ。
恐らく記憶を消す以外には、あの男しか分からないのだろう。
震える体を抱きながら、ただ波が押し寄せ、返す音を聞いていた。
忌々しいほどその音の様子は先ほどから変わらない。
まるで、永遠にでも続くようなその大きな『水溜り』は、永遠にでも続くような音を奏で続けるのだ。
「デイダラさん、」
「…っ…るせ…黙れ…」
「大丈夫ですよ。俺は死にませんからね。」
疎らになった髪に指を通しながら、呟く。
その体はビクと震え、しかしやはりそれは一瞬で止み、バーカと憎まれ口。
異形の手は、俺の黒の濡れたコートを握っていた。
「馬鹿じゃねぇの…てめぇは帰ったらオイラが爆死させてやる、うん…」
「それでも死にません。」
「嘘だ嘘だ。お前は、」
「本当ですよ。何しろ俺、先輩も認めるしつこさっすから。」
「あーそうかよ…つーかお前、本気でしつこすぎ。うざい。オイラの行くところいちいち着いてきやがって。」
グスっと鼻を啜り上げて、デイダラは抱かれた体を強引に放す。
まだその目からは透明な水が零れていたが、それを見られるのが嫌のようで背を向けてしまう。
そしてしゃがみこんで、今度は蹴って崩した砂を異形の手で掬い、積み上げ始めた。
苦笑して、その後姿に向かって口を開く。
「趣味、ですよ。」
デイダラさんに着いていくのは。
などという戯言を言って誤魔化した。
帰ってきたのは、やはり『バーカ』。
その手は、高く高く砂を積み上げていく。
趣味などというのは、本当は嘘だ。
ただいつも一人で部屋を抜け出されるたびに、追いかけなければ何処かへ消えてしまうと思った。
蹴り上げられ、崩された砂の山のように、壊れてしまうと思った。
水が赤く染まっていく。
忌まわしい赤は、一面に広がる蒼を飲み込み、そして侵食し、勝手に消えていった。