何故、なんて意味のない問い。
その意味を求めるなど、なんとも滑稽な人間。
何故彼は死んだのか、何故奴は記憶を消したのか、何故自分は思い出したいのか。
ほら、意味のない問いばかりだ。


嗚呼、それでも求めてしまう。
何故って?


何故ならオイラは自分でも認めるほどの滑稽な人間だから。












入水











どこまでも、それこそ永久に続きそうな、目の前の水溜りと空をぼんやりと見つけた。
目の前には、切れた金の髪。
頬を優しく撫でるような風が、それらを攫っていく。
その行く先を何となしに見つめる。
そこで行き着くのは、やはり蒼だった。
上空には、白さえ混じっていないただそこにある動かぬ蒼。
その蒼穹の下には、ゆらゆらと動く、蒼。
痛いほどの蒼が、蒼の目に映る。


『お前の、』


何処かから、否、頭の中でそんな声が聞こえ、また酷い頭痛に襲われた。
しかし、その声を拒否することなく、受け入れる。
思い出すなと痛む頭と、あの黒の男が言っているのは分かるけれど。
それに従うほど、弱くも素直にもできていない。


『お前の目と、同じ色だな。』


その声は、思い出せる彼の声とは少し違う。
いつもの感情を含まない声ではなく、何故か優しいと感じた。
優しさなど与えられたことはなかったが、これがそれなのかと、そのとき思った気がする。
その単語とは無縁のような顔をしている彼からの言葉だからこそ、しつこく覚えているのかもしれない。


『うざいほど蒼い。』
『うざいってなんだよ、うん!』
『蒼いな、お前の目は。』


自分の言葉を半ば無視し、目を覗き込まれた。
あんたは間違ってるよ、『旦那』。
こんな蒼、一瞬のことなんだ。本当は永遠になんか続かないんだ。
その証拠に、もう少しすれば、あんたの色に染まってしまうから。
そんな言葉がオイラの頭の中で浮かんで、それでもオイラはそれを口にすることはなかった。


「…なんで、言わなかったんだっけか…」


寝転んでいた体を痛む腕で支えて、起き上がらせた。
髪についた細かな砂がぱらぱらと落ち、先ほど攫われていった切れた髪のように風に運ばれていった。
風の動きを目で追うと、やはり行き着くのは蒼。
大きな水の流れで、こちらに来たりあちらに逃げたりする水をぼんやりと見つめる。
下がらない熱、腕の傷、頭の痛み
すべてのことに疲れ果てたように、目も表情も体も茫然自失。
まるで、弱く愚かな滑稽な人間のよう。
否、


(滑稽な、人間だ…)


口元に笑みを携え、唯一痛みがない足に力を入れた。
しかし、立ち上がれと命令する頭がうまく機能していないため、ふらふらと倒れ掛かってしまう。
2歩前のめりに足を出したところで、やっと足が自分を支えきれた。
穏やかに頬を撫でる風に押されるわけでもなく、姿勢が安定したことに安堵する間もないままに、先に足を踏み出した。
その足取りは、周りから見れば格好の悪い、今にも死にそうな人間のようだったに違いない。
しかし、今ここにあるのは蒼のみ。
気にせずに、定まらない歩調で前に進み続ける。


「…つめて…」


蒼に向かって進み、蒼に自分の足が入ったとき、小さく呟いた。
この地は寒い。
一年で季節が変わらない地もあるが、この地は4つもの季節を持つ。
今は、フユという寒い季節だと、今の相方が言っていた。
黒く塗った爪に水が触れ、やがて足全体を水が覆い、もう一歩踏み出すと膝が浸かっていた。
痺れるような冷たさが足を襲うが、気にしない。どうでもいい。
水圧で先ほどよりも体力を使う中を、1歩ずつ進む。
やがて水が腕の傷に触れたとき、先ほど足に感じた痺れるような冷たさとは違った痺れが感じられた。


「いてぇ…っ…」


しかし、気にせずにあと1歩進んだ。
もう胸の上までその水に浸かっていた。
上には蒼。自分の周りにも蒼。
まるで、永久に続く蒼に抱かれている気分になる。


『飲んでみるか?』


前にこれに入ったとき、そう言われたことを覚えている。
冷たく細い指は、小さく開けたオイラの口に入り、そしてそれを大きく広げた。
次に感じたのは、冷たい水。
そして、塩辛い、味。


まるで、お前の涙の味みたいだな


なんて、冗談交じりで『旦那』は言った。



異形の掌に、透明の水を掬い上げる。
それは指の間から零れ落ち、やがて掌の上の水の量はゼロになる。
また掬い上げる。
ゆらゆらと揺れる、掌の中の水。
それはよく見ても、蒼ではなく透き通る透明で、自分の肌の色が見えるだけだった。
なんで、これは蒼ではないのか。
そんなことを思いながら、手を持ち上げた。
白い包帯が巻かれた箇所が、焼けるように痛んだ。


小さく口を開け、それを喉に流し込んだ。


「…塩、からいな、うん…」


それは思い出せるし、懐かしい味なのに、何故目の前にいた男の名前や顔は思い出せないのだろう。
そう考えた瞬間、あの黒の男のことが頭の中を通り抜けた。
そうだ、先ほど痛みを代償にして思い出した記憶。


『デイダラさん、』


口元を、上げた。


『抵抗しないんですか?』


嗚呼、オイラはなんて弱く愚かで滑稽な存在なんだろう。







大きな水の流れに逆らって、しっかりと地に着けていた足の力を抜いた。
襲ってくる、水の冷たさ。
今度は足や腕だけではない。
全身、それこそ頭まで、その冷たい水に放り込んだ。


(蒼い…)


掬い上げたときは、透明だったというのに、もぐったら蒼なんだな、うん
そんなことを思い、目を閉じた。
ゆらゆら、ゆらゆらと自分の体がさまよう感覚。
いっそこのまま人間としての機能を捨て、浮かばずに沈んでしまれば楽だろうか。


大きな流れに身を任せたならば、この蒼の虚空に消え、すべてを忘れ、そして思い出せるだろうか。



『デイダラ』



誰かの声が、聞こえた。


目を開けて、次の瞬間見えたのは、真っ黒。
真っ黒な腕が伸びて、自分の体を引っ張りあげた。
そのことに気づいたのは、顔が水から出て、橙の仮面を見た後だった。


「…デイダラさん、勝手にいなくなっちゃ駄目ですよって言ったじゃないですか。」


橙の仮面のせいで、表情は見えない。
しかし、その声色はいつものおどけた様子ではなく、少し怒っている風だった。
もしかしたら、それは装っているだけだったかもしれないが、どうでもよかった。


「と…び…」
「先輩?」
「…まだら…」


そう呼んで、掴まれている手を反対側の手で握った。
目の前の男は、何も言わずオイラを見ている。


「マダラ…!」
「…落ち着け。何があった。」


いつもと違う口調で、いつもと違う声で、いつもと違う空気で男がオイラに向かって何かを話す。
そう、あのときもそうだった。
まだ腕がないときに、『トビ』は橙の仮面を自ら捨て去り、『マダラ』はその目でオイラを見て言ったのだ。


『サソリの記憶を、消してやる。それが一番いい対処だ。』


それからその術をかけられるまでに、『マダラ』は一度だけ『トビ』の口調で抵抗しないのかと言った。
抵抗しようにも、腕がないのにどうしろと言うんだ。
どうせ抵抗してもお前相手に意味がない。
いくらでも、言い訳は思いついた。
そのような状況だった。


しかし、きっとマダラも俺も気づいていた。


(オイラが、望んだことだった…)


『旦那』がいると、オイラは弱くなる。女々しくなる。
それが自分で分かっていた。
だから、半ば無理やり記憶を操り、『旦那』がどういう存在かを忘れさせようとするこの男に、さほど抵抗しなかったのだ。


しかし、


「オイラの、」


思ってしまった。


「オイラの記憶を、返せ…!」


この世界からいなくなってしまった、赤い男が、記憶の中にさえいないことが、


「返せ…旦那を、返せ…」


どうしようもなく、恐怖だと。


今まではよかった。何も思い出さない、相方はトビに変わった、それでよかった。
しかし、それは冷たい水を口を広げさせられて飲まされたことにより変わってしまった。
きっかけは何でもいい。
些細なことで、あの赤い男はオイラの記憶の片隅に、現れてしまった。


「たのむ、から…」


震える手でその橙の仮面に手をかける。
男は抵抗しなかった。ただされるがままに、仮面を外されている。
見えたのは、無表情。
いつものおどけた様子からは想像もできないほどの。
そんなことは、どうでもいい。興味がない。


重要なのは、オイラの記憶を封印した、その紅い瞳。






沈黙がその場を遅い、ただ水が移動する音だけが響いていた。
先ほどはあんなにも穏やかに感じた風は、頬を撫でるだけで刺すような冷たさを持っていた。


「…馬鹿な奴だ…」


不意に、水の音や風の音に乗って、そんな呆れたような声が聞こえた。
目を逸らさずに見ていた目の前の表情は、声と同じように呆れたものになっていた。
水の中の奴の手が動き、腰を抱かれた。
そのまま浮力に従い、上に体を軽々と持ち上げられた。
足が、地から浮き上がる。


一瞬後に触れた唇からは、やはり塩の味がした。


「俺も、お前もな…」


めったに見ない苦笑を見せ付けられ、紅い目が蒼を捕らえた。






永久に続くような蒼。
大きな水の流れは、すべてを包み込むように流れていく。


そう、まるでこの大きな水溜りの水が流れ込むように。
記憶と言う自分を包み込む水が、頭の中に入り込んだ。